宝台ループ線第二橋梁
このトンネルを抜けて程なくして見えてくるのが、現地で「ヴェジミン・モスト (Ведьмин Мост)」、すなわちロシア語で「魔女の橋」と呼ばれるトラス橋だ。
こちらも1928年の完成で、高さが50メートル、長さは200メートルに及ぶ。おそらく日本統治時代の正式な橋梁名もあることだろう。
(ここで言う「第二橋梁」とは、本文において位置関係を分かりやすくするための仮称です。日本統治時代の正式な橋梁名をご存知の方は、ご教授ください)
にしても、よくぞこのような険しい山岳地帯の深い谷に橋を架けたものだと、当時の鉄道土木技術の高さには感心せずにいられない。トラス橋の規模は「魔の橋」よりも大きいが、2007年にこの付近で起きた森林火災が橋上の枕木にまで燃え広がったようで、その大半を焼失しており、谷を挟んで反対側に見えるトンネルまで歩いていくのは不可能に近い。
橋にはすでに先客のグループがおり、勇気ある若者たちは道床と並行して設置している幅20センチほどの板のように細長い足場を、欄干に手をかけながら、恐る恐る橋の中央付近まで歩いていき、セルフィー(自撮り)を楽しんでいる。ソーシャルメディアで「いいね」、あるいは動画の広告費を獲得するために、このようなリスクを冒す人は世界中にいるようだが(その結果、誤って命を落とす人も少なからずいる)、完成してから90年も経過した橋の足場や欄干が、歩いているうちに、いつかボキッと折れてしまうのではないかと思ってしまう。しかし、今のところ、ふたつの橋でそのような事故は起きていないようだ。
この橋の傍らにも、やはりコンクリートで固められたトーチカがある。
なお、古い地図を見ると、豊真線の宝台駅はこの橋を渡ってトンネルをふたつ越えた先の山奥に立地していたようである。
ここまで空は曇りがちだったのだが(数日前までは雨の予報だった)、「魔女の橋」に来てから、気持ち良い秋晴れの青空が広がってきた。9月下旬とはいえ、サハリン南部の山々はまだ初秋の趣きで、広葉樹はほとんど色付いていない。
私たちはしばし、様々な角度から橋の姿を写真に収めた。アンドレイの叔父はプロのカメラマンでもあるらしく、本格的な撮影機材をいくつも操っている。
撮影を一通り終えると、私たちは橋の近くに腰掛け、アンドレイが持参してきたシャウルマ(ロシア風のケバブ)やサンドウィッチ、サラミ、チーズなどを広げて昼食とした。まさに絶好のピクニック日和。こうやって私たちが、かつて激戦地だったこの場所でピクニックが楽しめるのも、平和な時代のおかげだ。アンドレイたちと30分ほど話しながらくつろいでいると、先ほどのツアー客がやってきた。
宝台ループ線からの帰路
十分に休息を取ったところで、今まで来た道を折り返し、再びトンネルに入る。歩いている途中、暗闇の向こうから別の探索グループがやってきた。
このループ線、周囲の山岳風景に溶け込んだ鉄道の歴史的遺産を満喫できるハイキングコースとして、休日はかなり人気があるようだ。
藪に埋もれたレールに沿って「魔の橋」まで戻れば、あとは開けた線路の上をひたすら歩くだけである。
ニコライチュクから往復約10キロ、約4時間半のループ線探索を終えると、探索の前に挨拶をしたダーチャの若い主人から私にへと、家庭菜園で採れた果実の味を袋いっぱいにくれた。
偶然にも近郊列車に遭遇
車での帰り道、アンドレイの案内で日本統治時代に植樹されたというカラマツ林に立ち寄ってみた。ちょうどリスが木々の合間を駆け回っていて、わたしたちの目を楽しませてくれる。彼らが日本統治時代の歴史について色々と調べていると話していたとはいえ、よくぞこのような場所までも知っているものだ。
さらに車で貯水池を見渡す高台を走っていると、偶然にも遠くに列車のヘッドライトが見え、思わず「おぉ!」と声を上げてしまった。
朝夕の1日2往復しか走っていないホルムスクからの列車で、この列車は夕方の便。日本製の古い3両編成(D2系と呼ばれる)のディーゼルカーが、実にのんびりとした足取りでやってくる。時速30キロ前後であろうか。朝にも立ち寄った貯水池を見渡すポイントから、やや緊張しつつ、皆でカメラのシャッターを切った。彼らにとっても、なかなかこのタイミング、この場所で列車に出会うことはないのだろう。
午後5時ごろ、私たちはホルムスクの中心街に戻った。
追記
サハリンの主要幹線では狭軌から標準軌への改軌工事が完了し、そこから取り残される形となった旧豊真線の77kmPK9行き旅客列車は始発駅がホルムスクからポリャコヴォ(Поляково)に変更された上で、2020年は5月1日から11月10日まで朝夕に毎日運行されている。ポリャコヴォ駅はホルムスク市街から南へ約3.5キロ。線路の分岐点近くに位置する(駅の正確な位置は2gis.ruにて確認可能)。
また、それに先立って、当区間におけるD2系の運用は既に終了している。
今後はユジノサハリンスクからホルムスクまでの全線を、観光鉄道として復活させる計画があるとのこと。いつか列車の車窓から、宝台ループ線の絶景を堪能できる日が来ることを期待したい。
再追記 (2020年6月4日)
2020年6月3日の現地報道によれば、ポリャコヴォからニコライチュクまでの区間は、2020年秋から標準軌への改軌工事を正式に開始する模様。改軌工事完了後は、2019年に導入されたRA-3新型気動車が乗り入れる可能性が高い。
また、ホルムスク〜ポリャコヴォ〜ネベリスク間の改軌工事も並行して行われ、現在は貨物輸送のみであるが、将来的には旅客列車の運行も検討するとのことである。