サハリン

コルサコフと日本の歴史遺産

サハリン南部の港町コルサコフは、日本統治時代に大泊(おおどまり)と呼ばれていた樺太の玄関口であった。当時は北海道の稚内から大泊まで稚泊連絡船で結ばれており、港から中心街までの谷あいに広がる区画はこの頃に形成された。第二次世界大戦後は冷戦終結後まで軍港を擁する閉鎖都市となったが、1991年に(稚内とコルサコフを結ぶ定期航路が復活し、現在に至るまで夏場はサハリン南部における海の玄関口としての役目を担っている。

日本統治時代の歴史的な建物や面影は主に港の界隈に点在。ユジノサハリンスクから115番バスで約1時間。夏場であれば、フェリーの待ち時間に散策することもできるだろう。フェリーターミナルから北へ徒歩5分、115番バスが発着する五叉路角の市場(ピャーチ・ウグロフ: Пять Углов)を起点に散策するとよい。


旧北海道拓殖銀行大泊支店

コルサコフを代表する日本統治時代の現存する歴史的建物で、1928年に完成。第二次世界大戦後、体育館などに転用されたのち、近年は老朽化で閉鎖状態であった(それでも稀に入口の扉が開いていることもあった)。

羊のオブジェや塗り潰された表札(一部が剥がれており、名称を確認できる)などに新古典主義建築の一端が垣間見られる。

近年、日本統治時代の歴史的建物が現地で見直されつつあることを受け、郷土博物館として大規模な修繕工事が行われている。

ピャーチ・ウグロフバス停から、港に並行するOktyabrskaya Streetを北へ約400m。ユジノサハリンスクから列車で訪れる場合、Pristan(旧栄町)駅から中心街へ伸びるSovetskaya通りを歩いてすぐ。


旧栄町駅界隈の赤レンガ倉庫群

旧拓銀大泊支店の向かい側に位置する港の界隈には、日本統治時代に建てられた赤レンガや石造りの倉庫群が数多く点在。かつては旧栄町駅が大泊の実質的な玄関口であったらしく、当時の面影を色濃く残している。


旧王子製紙大泊工場と引き込み線跡

先述のピャーチ・ウグロフバス停から北東へ約400m。紅白の高い煙突が目印で、ユジノとコルサコフを結ぶバスはこの工場の脇を通る。当時の建物は煙突直下の奥まった場所に位置。また、旧栄町駅から分岐していた引き込み線跡の鉄橋部分は現在も線路が残されており、市場から旧拓銀までの道のりで見ることができる。


旧亜庭神社跡

かつて神楽丘と呼ばれていた高台の中腹に鎮座していた神社の跡地。コルサコフ警察署の正面駐車場左手側に、かつての参道の石段が当時の姿のまま残る。

長い石段を登った先は殺風景な空き地で、神社跡を忍ばせるものは何もない。少なくとも神社跡のそばには2014年ごろまでは旧海員学校を活用したアパートがあり、ここに出入りする住民の姿もあったが、2018年時点では撤去されて更地となっており、隣接地に新しいホテルが建った。


旧大泊港桟橋

日本統治時代に建設された桟橋で、かつては大泊港駅があり、鉄道連絡を行う形で稚泊連絡船が発着していた。現在も稚内とコルサコフを結ぶフェリーがこの桟橋に発着しており、陸上の入国審査場まではシャトルバスが運行されている。桟橋の線路は貨物線として現役。桟橋の全体像は高台の展望台からよく見渡せる。


旧大泊駅

現在のコルサコフ駅と同じ場所で、中心街からやや外れた場所にあるのは開業当初から変わらない。旧拓銀から北へ約1.2km。なお、ユジノサハリンスクからの旅客列車は当駅からさらに南へ進み、Pristan駅を経て、Pyat Ugrov駅(先述の市場から西へ約100m)まで運行されている。


旧コルサコフ日本国領事館

帝政ロシアの統治下にあった1890年、文豪アントン・チェーホフは、後に彼の代表作のひとつとなるルポタージュ「サハリン島」に関連する取材でコルサコフの日本国領事館を訪ね、領事の久世氏と面会している(当時、彼らがピクニックを楽しんでいた時の写真はユジノサハリンスクのチェーホフ記念文学館で展示)。市街地の北西側高台に位置しており、跡地の高台にはポクロフスキー教会が建ち、隣接地には領事の旧邸宅が現存しているとのこと。ユジノとコルサコフを結ぶ115番バスは教会の前を通るので、車窓からも確認できる。