サハリン

ホルムスクと日本の歴史遺産

間宮(タタール)海峡に面するサハリン南西部最大の港町であり、現在はロシア本土のハバロフスク州ワニノと鉄道連絡船で結ばれているホルムスク。帝政ロシア時代から日本統治時代にかけて真岡(まおか ※1908年までは「まうか」)と呼ばれており、港に面した平野部はごく少なく、海峡を見渡す海岸段丘に沿って南北に細長く市街地が形成されている。1945年8月20日、ソ連軍の対日参戦で艦砲射撃や地上戦が行われ、近郊を含めて多くの犠牲者を出したことは今日まで語り継がれてきた。

第二次世界大戦後はアパートが建ち並ぶ典型的なソ連風の港町に造り替えられ、日本統治時代の建物は人災や老朽化によって撤去・風化が進んだ。製紙工場の廃墟を除いて、中心街に当時の建物はほとんど残っていないが、注意深く観察すると、いくつかの歴史的な痕跡を見つけることができる。

今回はホルムスク在住のアンドレイと、彼の叔父さんが運転する日本車で、小一時間ほど中心街に残る日本統治時代の遺産を何箇所か案内してもらった。彼らと一緒に探索ができるのは、言うまでもなく、平和な時代のおかげである。


旧王子製紙真岡工場

ホルムスクでは極めて数少ない、現存する日本統治時代の建物で、市街地南側の港湾部に位置する。1919年に操業を開始し、そのスケールの大きさから、第二次世界大戦は軽工業団地として機能していたが、ソ連崩壊後に人災で設備の多くを失ったという。一見すると廃墟になっているように見え、既に放棄された建築物も多数あるが、現在は一部の設備が主に火力発電所として機能している。

工場一帯の全景はホルムスクのバスターミナルから南へ約1km、Prigorodnaya通りに沿った高台から見渡すとよいだろう。廃墟の傍らでは、貨物列車と絡めて撮影すると絵になりそうなところだ。なお、この通りは最近になって道路の付け替えが行われ(訪問時はちょうど工事中であった)、工場の入口には直結していない。

Address Prigordnaya Street 2


真岡町鎮魂の碑

1995年8月、ソ連軍の上陸から50年目にあたる節目の年に、旧真岡町関係者によって寄付・建立された石碑。寄付者名には王子製紙や日本製紙、今はなき北海道拓殖銀行も含まれる。新旧のアパートが建ち並ぶ市街地南部の高台の一角にあり、メインストリートから外れていて場所が分かりにくいので、事前に下調べをしておくとよい。

高台のレーニン広場からShkolnaya通りを約800m南へ進み、18番地アパート前を左折して細い坂道を登っていくと、正面に見える。前述の王子製紙跡を見渡すPrigorodnaya通りからは南へ約600m。

Address Shkolnaya Street 16


旧真岡病院跡

現在のホルムスク市立博物館が建つ場所に立地していたという。港のバスターミナルから高台へ続く坂道(Morskaya通り)をまっすぐ進んだ先。

Address Morskaya Street 16


旧真岡神社跡

ホルムスク市立博物館前から、中央分離帯がある広々としたPobedy通りの坂道を北へ進むこと約300m。右手に旧真岡神社の参道が当時の姿を残しつつ現存しており、階段を登った先の高台に位置する本殿跡には、5階建てのサハリン船舶(SASCO)兼旧ホルムスク銀行ビル(банк холмск)が建つ。

神社の建物は残っていない。しかしながら、ビルの左手にある小さな日本風庭園(その奥には小綺麗なホテルがある)の木陰には当時のものであろう、原型を留めた手水舎(浄財と書かれている)や馬頭観世音の土台がひっそりと配されている。

Address Pobedy Street 16


旧真岡第二尋常小学校奉安殿

前述の旧真岡神社跡からPobedy通りをさらに北へ約1km進むと、三叉路交差点の正面右手に旧真岡第二尋常小学校の奉安殿が残っている。2018年の訪問時は草生した空き地にひっそりと建っており、屋根と壁が完全に崩れ落ちて倒壊寸前だった。しかし、現地で日本統治時代の歴史を見直す流れはここにも及んできたようで、つい最近になって綺麗な広場として整備され、奉安殿の補修も行われたようである。

Address Makarov Street 2


真岡郵便局跡

1945年8月に真岡郵便電信局事件が起こった場所として知られている。当時の面影は残っていないが、郵便局としての立地はそのまま引き継がれており、ロシア貯蓄銀行(ズベルバンク: Сбербанк)とアパートを併設している。バスターミナルから北へ約100m。ユジノサハリンスクからのバスは建物の前を通る。

Address Sovetskaya Street 65


旧真岡駅

1920年に鉄道省樺太西線の駅として開業。豊原(ユジノサハリンスク)や本斗(ネベリスク)、久春内(イリインスキー)方面の列車が発着する真岡の拠点駅となり、1923年には小樽駅を模した近代的な駅舎が建てられた。この駅舎は1992年に解体されたのは惜しまれる。第二次世界大戦後はホルムスク・ユージニー(南)駅となり、現地時刻表では単にホルムスクと表記されることが多い。旧豊真線をたどる旅客列車は改軌工事の完了によって2019年で運行休止となり、現在はチェーホフ、およびトマリ方面の北へ向かう旅客列車が発着している。

Address Kholmsk-Yuzhny (Холмск-Южный) Station


旧北真岡駅

1921年、旧真岡駅の約3km北に設置され、小樽と真岡を結ぶ旅客船の乗換駅としての役目を担った。1944年の東亜交通公社時刻表を見ると、真岡駅よりも北真岡駅の方が駅名の文字が大きく描かれており(列車の発着時刻も併記)、こちらも交通の要衝であったことが分かる。第二次世界大戦後はホルムスク・セヴェルヌイ(北)駅となり、旧真岡機関区を転用したホルムスク機関区が隣接している。

Address Kholmsk-Severny (Холмск-Северный) Station