ウラジオストクに限ったことではないが、どの都市でも中心街の観光スポットを一通り回った後には、どこか郊外へ足を伸ばしたくなるというものだ。この日は前日まで1週間も続いた快晴から打って変わって、朝から生憎の土砂降りに近い雨模様。しかも月曜である(ただし、中心街の博物館は大体開いている)。

滞在先のホステルから。正面に見えるのは国立沿海地方美術館。

さて、ウラジオストク郊外の見どころを色々と調べてみたものの、ほぼすべての施設がことごとく月曜休館である。そんな中、「ザリャー(Заря)」と呼ばれる現代芸術センターは月曜も開館しているらしい。駅前からバスで直接行けるらしく、これで行き先は決まった(というよりも、ここ以外に選択肢がなかった)。


随分と長く降り続いた雨は昼過ぎに小康状態になり、歩いてウラジオストク駅前のバスターミナルへ向かう。駅前にたむろしているホームレスのひとりがこちらに向かって何やら理解不能な言葉を発してくるが、ロシア極東の旅でこういうのは既に聞き飽きた感があり、構わず無視して洋書のガイドブックに示されていた31番バス(Тихая行き)に乗り込む。

バスは午後2時近くにウラジオストク駅を出発し、程なくして進路を東に変える。ザリャーはウラジオストク空港へのメインストリート沿いにあるので、このバスは中心街を少し回り道してから北上するのかと思いきや、ルゴヴァヤ(Луговая)という市場を通り過ぎ、郊外を走る路面電車の線路と並行し始めた。

さすがにこれはおかしいと思い、あらかじめダウンロードしておいたYandexの地図アプリでGPSを見ると、やはりというか、どうにも違ったバスに乗ってしまったようだ。すなわち、これはガイドブックの記事が間違っていたことになる。

それにしても華やかな歴史的建物が立ち並び、観光客で賑わう中心街とは一転、雑然とした街並みに渋滞、丘陵地帯に沿って建ち並ぶ巨大アパート群と、そこに暮らす人々が営む郊外の風景は生活感にあふれている。


ドブロボルスキー停留所。

ティハヤ地区の高台をぐるりと一回りするうちに乗客は自分ひとりだけになり、午後2時48分、終点に到着した。後で調べてみたところ、ここは「ドブロボルスキー」(Добровольского)という名の停留所らしい。眼前には曇天のウスリー湾、すなわち日本海が広がり、いくつかの島が浮かんでいるのが見える。

私は中央アジア系の顔立ちをした運転手に、

「バスを乗り間違ってしまって、ザリャーに行きたいんですけど、何番バスに乗ればいいですか?」

と尋ねてみた。

すると運転手はスマホの電卓機能を使って「64」という数字を示してくれた。


ここでしばらく待つのかなと思いきや、バスを降りて1分も経たないうちに64番バスはやってきた。念のため、出発前に運転手に尋ねると、このバスはきちんとザリャーまで行くそうだ。それにしても町はずれのティハヤ地区からザリャーまでバス一本で行けるとは随分と都合がよい。64番バスも例外なく渋滞や信号待ちで中々前に進まず、時間だけが過ぎていく。

途中のバス停では出発直前にどこからかふらっと現れた、心身ともに重い障害を持つホームレスらしき身なりをした若い男性が乗り込んできた。彼はバスの最前列に座るなり、下車客に向かって辿々しい声で「ルーブル」とお金をせがむ。彼は時折、自分自身の頭を強い力で窓に何度も打ち付け、さすがにその時は運転手が注意するのだが、それ以外の言動は乗客の誰もが黙認している。彼のような人物に対してルーブルを手渡す下車客(特に年配の女性が多い)がそれなりにいるのは、お国柄が現れているように思う。

終点ひとつ手前のザリャーで下車。時刻は既に午後4時を過ぎており、ウラジオストク駅からここまで直線距離で約10キロのところ、約2時間もバスに揺られていたことになる。バス停付近にザリャーへの案内看板は何もないのだが、地図によれば歩道橋を渡って左手に曲がった先の高台に建物があるらしい。


ミシンを模した看板が立つ入口までやってきた。ザリャー(ロシア語で「暁」の意味)は1960年代にソ連の縫製工場として建てられ、操業停止後の2013年に地元企業の協力を得て、現代アートの複合施設へと生まれ変わったそうだ。

ザリャーには赤レンガ造りのワークショップが8棟建ち並んでおり、オフィスや居心地の良さそうなカフェ、アートスタジオ、企画展示室などで構成されている。ところが、10番入口の2階にある企画展示室の扉が開いていない。公式サイト(英語)で事前によく確認していなかったせいもあるのだが、この時期はちょうど展示期間外だったようだ。

どちらにせよ、月曜にウラジオストク郊外で開いている見どころはここしかなかったのだから、これに関しては致し方ない。

コワーキングスペースを兼ねた読書ホール。アート関連の商品や書籍を取り扱う売店があり、無料wi-fiも使える。

せっかくここまで来たのだから、レンガ造りの建物を今一度眺めて、コーヒーでも飲んで帰ろうかと敷地内を歩いていると、この看板が目に留まった。

ロシア語で「アーティスト・イン・レジデンス」(Artist-in-residence)と書いてある。

ここには若手芸術家(公式サイトによれば18歳以上が対象で、出身地は問わない)が1〜2ヶ月滞在しながら創作活動を行うことができる建物が併設されているという。興味が湧く。


「ここって見ることできますか?」

アーティスト・イン・レジデンスにたまたま居合わせた若い女性(自分と年齢があまり変わらなさそうだから、女の子と呼ぶ方が適切か)に声を掛けてみた。

「えぇ、どうぞ。ぜひ見ていって」

彼女の名はナーシャ。モスクワ近郊の出身で、レジデンスに滞在しながら前衛的なポップアートの制作に取り組んでいるという。次回の企画展の発表日が近づいているらしく、デスクには彼女の色鮮やかな作品が散りばめられている。創作スペースには立派なキッチンもあり、ここで食事を取りつつ、日々創作活動に励んでいるようだ。

こちらは寝室。いかにもロシア的な雰囲気が漂う部屋にはベッドが2台備わっており、個人だけではなく、ペアのアーティストも滞在できるようだ。写真には収めていないが、広々とした空間にそれぞれポツンと配されたトイレとシャワーブースも印象的であった。

さて、ナーシャと現代アートについて話し込んでいると、

「まだ昼食をとっていないから、時間があれば一緒にどう?」

と、彼女のほうから思いがけない一言が…。

(感涙)

「えぇ、もちろん!」

ここに来るまで昼食のことはすっかり忘れていた。何せ、今日はたっぷり時間がありますから…。

さっそく準備に取り掛かる。

そのうちにひとりの青年がレジデンスにやってきた。

彼の名はキリル。ナーシャの芸術家仲間で、生まれも育ちもウラジオストク。元は学校の教師だったといい、今は駆け出しの芸術家として活動しているそうだ。数年前には東京や新潟を訪れたこともあるという。国は違えども、お互いの年代が近いと、何かと通じ合うものがある。

ナーシャ特製のロシア風野菜スープとハーブティーにパンを添えて、ちょっと遅い昼食。食卓を囲みつつ、芸術と文化の話に花が咲く。

最後にふたりがカードに描いた前衛的なポップアート作品を10枚ほど、私にプレゼントしてくれた。


時刻は午後5時半過ぎ。これから彼らは新しい芸術作品のインスピレーションを得るべく、近郊の森へ散策に出かけるという。ここで彼らとはお別れ。ザリャー始発の59番バス(今度は教えてもらったので間違いない)に乗車し、午後6時半ごろにウラジオストク駅に戻った。

それにしても今日は土砂降りの雨から始まり、出だしからバスに乗り間違え、一体どうなることかと思ったものだが、結果的には良運や人との出会いに恵まれて、とても印象に残る一日となった。