
コムソモリスク・ナ・アムーレの滞在中、現地在住のアレックスが私に提案してくれたのが、アムット湖へのピクニックである。
「アムット湖って、一体どこにあるんだろう?」
今まで一度も聞いたことがない湖である。川の名前を連想させるが、「アムール湖」ではないらしい。その湖は深い山の中にあるという。
ピクニックに同行するのは、アレックス夫妻の友人ナターシャと、彼女のアパートに滞在しているドイツ人の旅行者クリス。極東のコムソモリスクで日本とドイツからの旅人が、意図せずして同じタイミングで出会うとは、まったくの奇遇である。
アムット湖へのピクニックが決まったのはこの日の午後。アレックスが勤務先の行政府から早退したあとである。
彼が運転する自家用車は割と新しい型の日産SUV。右ハンドルなので、日本の中古車であることには違いない(たまに見かける左ハンドルの日本車は、ロシアの現地法人が製造したもの)。ちなみにロシア極東では、おおよそ8割の自動車が日本の中古車である。

しかし驚くべきは、車体の後ろに何と、
「SAPPORO NISSAN」
と書かれたステッカーが貼ってあることだ。
はるばるコムソモリスクまでやってきたこのSUVが、札幌日産自動車のディーラーと関わりがあったのは間違いなく、しかもその車に札幌から来た私が乗るのである。それにしても何という偶然だろうか。
私は助手席に、ナターシャとクリスは後部座席に座った。
コムソモリスクを北上

午後2時過ぎ、コムソモリスクを出発。中心街から幹線道路のキロヴァ通りを北上する。
市街地を抜けると左手に見えるのが第三火力発電所、通称テーツ(ТЭЦ-3)。ソ連時代から変わらないであろう風貌だ。
パショロク・ポポヴァ

まず最初に私たちが立ち寄ったのは、コムソモリスクから北へ約13キロ。幹線道路から数百メートル外れた場所に佇むパショロク・ポポヴァ(Посёлок Попова)という小集落。アレックス曰く、ラジオ塔の建設によって開かれた集落だといい、古めかしい木造家屋が建ち並ぶ。
ここの地名の由来となったのが、小綺麗な10番学校の向かいに佇むアレクサンドル・ポポフ(1859~1906)の石像。ロシアにおける無線通信の発明者なのだそう。
寂しげな集落に人影はほとんど見当たらないのだが、集落の中心に位置する広場にはバス停の標識が立っており、コムソモリスクからのハリガソ(Хальгасо)方面へ向かう7番バスと、セヴェルニー・ガラドク(Северный городок)へ向かう8番がそれぞれ2〜3時間おきに乗り入れているとのこと。
地図を見るとパショロク・ポポヴァの集落は、コムソモリスクを出発したバム鉄道ティンダ行きの夜行列車が最初に停車するシリンカ(Силинка)という駅から歩いて数百メートルの場所に位置している。
ソルネチヌイ

再び幹線道路に戻り、黄色く紅葉しつつある樹林帯をコムソモリスクから延々20キロ以上進んでいく。単調な風景が続くなぁと思っていると、
「ソルネチヌイ (Солнечный)」
と書かれた街の看板が突如現れた。
ふと交差点の右側を見てみると、森の中を一本の直線道路が貫いており、その先に街らしきものが見える。程なくして、幹線道路沿いの木々の合間から、緩やかな傾斜地にソ連風のアパートが建ち並ぶ風景が遠方に広がった。まるで周囲の森に隠れているかのような都市型集落だ。
1960年代に建設が開始されたソルネチヌイ(ロシア語で「日当たりが良い」の意味)は人口約1万人を擁し、鉱石の採掘を主産業する通称単一都市。ロシアを代表する男子フィギュアスケーター、エフゲニー・プルシェンコはこの街で生まれたという。
コムソモリスクからは122番バス(所要1時間)がソルネチヌイのバスターミナルまで運行されている。
ソルネチヌイの西にはホルドミ(Холдоми)という名のスキー場がある。
コムソモリスクの近郊にスキー場があるという情報は、どこかでチラッと目にしたことはあったのだが、それなりに標高が高いホルドミ山の斜面に全長2キロくらいの直線的なゲレンデと7本の索道が設けられており、なかなか滑りやすそうである。また、山麓には数軒のロッジや青少年向けのアスレチック遊具が営業しており、一年を通して遊べるそうだ。