極東・沿海地方

ちょっとディープなコムソモリスク・ナ・アムーレ

前回掲載した「初めてのコムソモリスク・ナ・アムーレ観光」では、市内の主な見どころをピックアップした。もっとも、この街で見かける観光客は皆無に等しく、外国人で活況を呈するウラジオストクやハバロフスクとは全く趣きを異にする。ここでは(多分)あまり知られていないコムソモリスクの見どころを紹介していきたい。


ホテルアムール

実はコムソモリスク・ナ・アムーレは、ロシア極東の中でも特に日本人との関わりが深い都市のひとつ。第二次世界大戦後、コムソモリスクの収容所には多数の日本人捕虜が抑留され、過酷な環境下で土木や建築、鉄道建設工事などに従事させられたという。

日本人捕虜が手がけた建物の代表格のひとつが、1947年に完成したホテルアムール(Гостиница Амур)。ミーラ通りに面しており、現在は淡いブルーとグレーに塗り分けられた小綺麗な姿に改装されているが、コムソモリスクを代表するホテルとして営業を続けている。

ホテルの反対側にはアムールトラを忠実に再現したオブジェがあり、その背後に小さな石碑が佇んでいるのが見える。ソ連時代の大々的なモニュメントとは違って、注意深く見ないと気が付きにくいほど控えめだ。そこにはコムソモリスクの収容所に抑留され、帰還できなかった日本人捕虜の慰霊碑があり、重々しい負の歴史の記憶を今に伝えている。


ミーラ通りのアパート

中心街からアムール川まで南北に貫くミーラ通りはコムソモリスクの中でも早くから開けたところで、北側にはかつて高級官僚や富裕層が暮らしていたというアパートが建ち並ぶ。表向きはヨーロッパ・ロシア調で、裏手は趣きのあるレンガ造りとなっている。


美術館

1966年に開館した美術館(Музей Изобразительных Искусств)。随分と質素な外観の建物で、先述のホテルアムールからミーラ通りを挟んだ向かい側に立地する。コムソモリスクの歴史を描いた油彩、1870年代から1960年代までの工業に関連するアート、先住民族の伝統的な芸術コレクションなどを持つ。


コムソモリスク・ナ・アムーレ市庁舎

文化の家の斜め向かいに建つ明るい雰囲気の庁舎。屋根の装飾に注目。


コムソモリスク郷土博物館

中心街の東側に建つ郷土博物館を案内してくれたのは、現地在住のナターシャ。アムール川河畔のレチノイ・ヴァグザール(リバー・ターミナル)付近から市街地を俯瞰した大きな空撮写真を見ると、この都市の大まかなレイアウトが理解できる。

右手の写真中央はコムソモリスクの市章。左手がハバロフスク州旗、右手は市旗。

1階展示室の一角に掲げられている極東アジアの地図。コムソモリスク・ナ・アムーレの姉妹都市である新潟県加茂市と中国北東部のジャムス市(2016年に提携した中国渭南市は含まれていない)の位置関係を示しているが、ここでは特に北海道の存在が目立つ。私は思わず出身地の札幌を指で示したが、こうしてみると、北海道からコムソモリスクが想像していたよりも随分と近い距離にあることがよくわかる。直線距離で1000キロ前後、札幌東京間の距離とさほど変わらない。

この展示室でもうひとつ目を引いたのが、アムール造船工場を視察する金正日の写真で、日付は2002年8月21日となっている。彼が北朝鮮からモスクワまで特別列車でシベリア鉄道を横断したことはよく知られているが、その後、密かにコムソモリスクも訪れていたというのは、地元以外ではほとんど知られていないであろう。

アムール川に面するこの都市は大規模な洪水に見舞われることがある。写真は2013年のときのもの。2019年秋の洪水も規模が大きかった。

コムソモリスクの生態系や、ナナイ族をはじめとする先住民族の展示。

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