アムール州郷土博物館

ブラゴヴェシチェンスクを代表する見どころといえば、レーニン広場の斜め向かいに建つアムール州郷土博物館(Амурский областной краеведческий музей)だ。19世紀後半から20世紀初頭にかけて建てられたドイツ商館クンスト・アルバースを活用しており、帝政ロシア時代の優美な趣きを存分に残す、市内でもっとも美しい建築物のひとつである。

館内は26部屋の展示室で構成されており、アムール州の自然や歴史、文化に関する16万点もの充実したコレクションを有する。

アムール州でもマンモスの化石が発見されているようだ。

“Amur Region – The Space Region”

2016年に本格稼働したボストチヌイ宇宙基地(Космодром Восточный)のパネル展示。ボストチヌイはロシア国内唯一の民用宇宙基地で、スヴォードヌイ(Свободный)の北部に位置しており、ジーマ曰く、基地は言うまでもなく管理区域下にあるが、打ち上げの様子はブラゴヴェシチェンスクから車で数時間の近郊からでもよく見えるらしい。

この博物館でもっとも注目すべき展示室のひとつが、17世紀にロシア極東の進出拠点となっていたコサックの要塞アルバジン(Албазино)。現在のアムール州西部の河畔にあり、当時の様子を再現したジオラマや地図、実際に使われていた生活用具などを展示している。

現在のアルバジンは人口300人程度の小さな川縁の集落で、地図を見る限りでは訪れるだけでもかなり大変そうな場所だが、現地には当時の要塞を一部復元した小さな博物館がある。

ブラゴヴェシチェンスク全盛期の帝政ロシア時代には、様々な調度品や交易品がこの街にもたらされた。木枠のショーケースは商館時代のものだろうか。随分と歴史がありそうだ。

アムール州中部を東西に横断するバム(バイカル・アムール)鉄道の建設に関する展示とポスター。バム鉄道の中心地に位置するティンダ(Тында)へはブラゴヴェシチェンスクから夜行列車が乗り入れており、現在はさらに北のサハ共和国ネリュングリまで直通運転を行なっている。

ソ連時代の展示もそれなりに充実しているが、この博物館のメイン展示であり、もっとも興味を引くのは、やはり帝政ロシア時代までの歴史である。

日本や中国、朝鮮の歴史をテーマにした企画展。その一角のガラスケースに満洲国の勲章と硬貨が展示されていた。1945年までブラゴヴェシチェンスクはアムール川を挟んで満洲国と相対する都市だった。

この博物館のエントランスには充実したギフトショップがあり、ブラゴヴェシチェンスクならではのマグネットやポストカード、ブックレットなどの土産物は大体揃う。

余談ではあるが、最初にこの博物館を訪れた日がたまたま月末最終金曜日の休館日(館内清掃日)だったので、翌日に改めて訪れた。毎週月曜は休館。

博物館のウェブサイト(museumamur.org)には体裁が整った英語のページがあるので、訪れるさいの参考になる。


アムール川河畔のプロムナード

アムール川に沿ったプロムナード(Набережная)はブラゴヴェシチェンスク散策のハイライト。最短距離でわずか500メートルほどしか離れていない対岸に、中国・黒河(Heihe)の街並みが間近に見え、ここから泳いで行けるのではないかと思うほど。中国語の看板や近代的な高層ビル群が見えるだけでなく、太極拳の音楽まではっきり聞こえてくる。

水上にはブラゴヴェシチェンスクと黒河を約15分で結ぶ観光船のようなフェリーが行き交う。運航間隔は1時間おきで、船がすれ違う風景が見られることから、両国とも同時刻に出港するようだ。川面の中央にはロシアと中国の国境を示すブイが浮いている。

(なお、2019年7月に両都市を結ぶゴンドラ式ロープウェイの建設が始まり、2022年に完成予定)

プロムナードを下流側に並んで立ち並ぶ3棟の近代的な高層アパート。眺めの良さそうな高級物件だが、どのような人々が暮らしているのだろう。

レーニン広場から高層アパート、川の駅(レチノイ・ヴァグザール)までにかけての河畔には全長1キロに及ぶ広大な空き地が広がっている。中国からの投資を当て込んで埋め立てと造成を行ったものの、思惑通りには進まず、開発事業は事実上頓挫しているそうだ。

プロムナードの東端に位置する出る川の駅(Речной Вокзал)からは中国・黒河行きの船が出ている。川が結氷する冬はここから川を跨ぐ鉄製の仮橋が対角線上に架けられ、その上をシャトルバスが走るという。

この界隈では10人くらいの釣り人が糸を垂らしていたのだが、帰り際、迷彩服を着た釣り人のひとりが、私とジーマに向かって訳もなく急に大声で怒鳴り出してきた。

(やれやれ、またこれか…)

無論、私たちは彼を無視してその場を後にしたが、この言動はジーマでさえ、

「理解できんね」

と呆れ顔で言う。

個人的にはロシア極東の他所でも訳もなく急に怒鳴り出してくる人に出くわした経験は何度かあり、特段驚くに値しないが、ジーマでさえそう言うのだから、これはやはり理解できないもののようである。


ブラゴヴェシチェンスク教育大学

気を取り直し、高層アパート近くのメインストリート沿いに建つブラゴヴェシチェンスクの国立教育大学へ。この重厚なレンガ造りの建物は帝政ロシア時代末期の1912年に男子中等教育機関(ギムナジウム)として建てられた。撮影スポットとしても人気があるようで、何人かの中国人観光客がカメラを向けていた。

1階のエントランスホールは誰でも自由に出入りでき、自動販売機の安い(しかもなかなか濃厚で美味しい)ココアを買い求め、ホッと一息つく。

教育大学に隣接する社会文化センター(Общественно-Культурный Центр)。主にコンサート会場として使用されている。ジーマ曰く、彼が子どもの頃には既に建設が始まっていたというが、途中で工事が長きに渡って中断し、完成したのは2006年のこと。着工から竣工まで、何と50年も要したらしい。

ちなみに社会文化センター前の広場には「ブラゴヴェシチェンスク」と書かれたハート型のモニュメントがある。

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